1993年度知多・チタ友好交流  知多青年会議所 
.                    理事長 青木忠彦

知多・チタ友好視察団を終えて  国際交流委員会 
.                    委員長 水野哲也

チタ市訪問記            直前理事長 大橋真人

第3回知多・チタ友好視察団名簿 


1993年度知多・チタ友好交流 

 知多青年会議所 理事長 青木忠彦

本年度で、知多・チタ友好交流事業も3年目を迎え、水野哲也委員長をはじめ、委員会のメンバーの努力のおかげで、多少のトラブルもありましたが、無事に終えられたことをまずもってお礼申し上げます。委員会事業としては、4月例会で古賀武夫講師による、「われら地球市民」をテーマに講演をしていただき、メンバーと共に国際交流のあり方を今一度考える機会をいただけたと思います。

7月の訪ロに際しては、チタ国際空港でキム副市長の歓迎を受け、レーニン広場で子供達と盆踊りの共演をし、訪ロ団のメンバーがホームステイを体験し、お互いに友好が深められたものと思います。

10月の統一事業「産業祭り」に訪日団を迎えるにあたり、事前に準備していたにもかかわらず、ビザ発給に手間取り、モスクワの日本大使館に直接電話をしたり、外務省に出かけ、始末書まで提出してウルトラDでビザの発給をしていただきました。また、(社)日本青年会議所の事務局の水野部長をはじめ多数の人々にお世話になりありがとうございました。

知多市国際交流協会のホームステイ部会の会員宅に訪日団9名全員、2日間のホーム来年は、知多青年会議所も創立20周年という大きな節目を迎え、今後の知多・チタ友好交流のあり方を今一度考える年になると思います。最後に、国際交流委員会のみなさん、一年間ご苦労様でした。
「戻る」          (「1993年度国際交流委員会報告書」より)


知多・チタ友好視察団を終えて  

 国際交流委員会委員長 水野哲也

 本年も皆様方のご協力により7月3日(土)より7月7日(水)までの間に、ロシア共和国のチタ州チタ市へ「第3回知多・チタ友好視察団」を派遣し、若干のアクシデントはありましたが、無事日程を終了し帰国致しました。

今回は、チタ市の市民の皆様方と、盆踊りをしたり、ホームステイをしたりして友好を深め、例年のようにお互いの交歓を目的とした覚書きを交わしてまいりました。そして、もう一つの最重要行事である墓参もチタ市営第一・第二墓地、カダラ地区の墓地の墓参を致しました。

 例年にもまして、チタ市側も墓参に対する理解を深めて頂くにいたり、特に、全く手のつけられていない状態であるノーバヤ地区の墓地につきましては、チタ市としても整備に尽力するとキム副市長より発言をいただきました。年々このシベリア抑留の問題も認識を新たにされつつあり、交流を続けていく中で、墓地の整備等を進めていくことになると思われました。

最後になりましたが、今回ご同行いただきました中日新聞社記者 勝野 駿様には多大なご協力をいただき、感謝致すと同時に、皆様方のご理解とご協力にお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

「戻る」             (「1993年度国際交流委員会報告書」より)


チタ市訪問記             直前理事長  大橋真人

感激して涙がポトポト…・と頬を伝わって落ちてくる。それとともに、汗が汗腺からドット噴き出してくる。鼓動が激しく打ち、止もうともしない。イルク−ツクへ向かってチタ空港を飛び立つ飛行機の中での情況である。飛行場をあれだけ一所懸命走ったのだから

無理もないと思う。

イーゴリとスピード違反も気にせず時速120kmで道路を走り抜け、ホテルのレストランに着いたら、鍵がかかっていて中に入れない。さっき、あそこで昼食をして、バッグ(パスポート在中)をあそこに置いたのに。

何処に鍵はあるのか?
何処に責任者はいるのか?
何度聞いてもらっても「分からない」の一点張り。

時間は、刻々と過ぎて行く。私の不徳のいたす所と、諦めの気持ちが行ったり来たり。

焦りと緊張は極点に達している。そんな気持ちを分かってくれたのか、ついに、イーゴリがドアの鍵を2カ所バールで壊してこじ開け、やっとパスポートを手にした。飛行機出発まで、あと10分間しかない。来た時は確か約20分かかったはずだがと心の中でつぶやく。

イーゴリには、空港へ向かう車中で、彼の親切に対して感謝の気持ちを伝え、心ばかりのお礼をした。

飛行機は、まだ飛んでない。(まさか、飛行機の中でメンバーが機長と交渉していてくれていたとは、その時知らなかった。)飛行場に着いた。キムさん(チタ市副市長)が泣いて頼んでくれたのに、「ニエット」と、空港職員の冷たさはあったが、オーリャの機転のおかげで、空港職員の制止をふりきり、映画のヒーローよろしく、空港の中を
息を切らせて走り、タラップを使わずに飛行機によじ登るという二度と出来ない体験まで出来た。

この時、役だったロシア語は「グジェ マイヤ サマリョート?」(私の乗る飛行機はどこにあるの?)でした。オーリャが指を指して位置を教えてくれました。彼女のハイヒールは大丈夫であっただろうか?(その年、彼女が来日した時、お礼にハイヒールを一足プレゼントしました。)

彼等の親切に合掌。礼を尽くして今後ともつき合いたいと思う。
「戻る」         (「1993年度 国際交流委員会報告書」より)


第3回知多・チタ友好視察団名簿


青木  忠彦    知多市新舞子       理事長   

大橋  真人    知多市清水が丘     直前理事長

竹内  慎治    知多市岡田        副理事長

水野  哲也    知多市八幡        国際交流委員会
                           委員長 

竹内  栄道    知多市南粕谷       国際交流委員会
                           委員

蟹井  教弘    知多市八幡              

勝野   駿    名古屋市          中日新聞社 記者

木下  秀一    名古屋市         一般参加者      

浅井  政市    海部郡飛島村

橋詰  範和    名古屋市          墓参

大橋  晴代    知多市清水が丘      一般市民

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