読書の小径 その57 「不良牧師!「アーサー・ホーランド」という生き方」

2002/12/2(月)19:58 -

 今年の秋に細君が「○○流 着付け 初伝の部」東海地区大会で優勝して、全国大会へ出場した。

全国大会(東京)の式典の中で、アーサー・ホーランド師が記念講演された。

講演の内容が心に染みたのか、細君はサイン入りの本を3冊買い求めてきて、娘や息子の下宿先へ

送付した。その一冊(「不良牧師!「アーサー・ホーランド」という生き方」いのちのことば社刊)が手元に

あったので、読んでみた。

 タイトルにある「不良」ということばはこの場合、「型破り」と同義としてとらえると分かりやすい。

 ホーランド師が初めて行った教会(サンディエゴにある)は、老人ホームのような教会で、そこの

しわくちゃなじいちゃんとばあちゃんたちから、「アーサー、よく来たね」と言われた。そのとき、「波の音を

聞いて潮風がフワーッと身体全体をなでたときと同じ感じで、そこの自然の風や太陽が俺を包んでくれた」

ように思えた。

 そして、「牧師が情熱を込めて、「おまえは愛されているよ。その愛が分からないのは罪があるからだよ。

でもジーザスはその罪のために十字架にかかったんだよ」と話してくれ、そのジーザスは、「今、おまえの

ハートの扉を叩いているんだ。心を開けばジーザスが入ってくるよ」と言われた。

 そこで、アーサー・ホーランド師は、さっそく心を開いて、洗礼を受けることにした。


 その後、スポーツを通して宣教する団体で活動していたが、レスリングの試合で首の骨を折って、

現役続行できなくなるまでそれは続いた。そして、宣教のために生まれ故郷の日本に戻ってきた。

 ある時、新宿駅東口、アルタの前で友人と待ち合わせをして、30分間待たされた時、まさに人、人、

人の大海原を見て、この中の何パーセントがクリスチャンなんだろうかと考えた。

その時、ヨドバシカメラのコマーシャルソングが聞こえて来て、この音楽に誘われるように店の中へ人が

流れ込んでいく光景を見て、「ここで俺が賛美歌を歌ってバイブルメッセージを語れば、教会にも人が

流れ込むのではないか」と思い、「俺をここで語る存在にしてください。そのために俺にガッツを与えて

ください」と祈った。

 これがきっかけで、新宿の交差点での「路傍伝道」が始まった。

 ホーランド師は、最初何を話したらいいか分からなかったと正直に述懐している。

バイブルには、「何を話していいかなんて心配するな」と書いてある。「話すべきことは与えられている」

とも。

信号機のところで、「あなたは愛されている」と叫んでいた。

その後、「そこのお嬢さん、素敵なブーツね。でも汚れているよ」「ところで、心は汚れてないかい。

イエス様はあなたの心をきれいにするよ」といった調子でやっていたら、「白いスーツのおじさん登場」

などと週刊誌やテレビに取り上げられて一気に有名になってしまった。

 「新宿歌舞伎町でやっていることを全国版でやってみな」という声が心に聞こえてきて、全国を股に

かけたストリート・パフォーマンス、辻説法の旅に出ることになる。

 路傍伝道のスタイルが定着したとき、ジーザスが、「アーサー、おまえはなにを誇りとしているんだ。

十字架以外に誇りとすべきものがあってはならない」と語りかけてきたという。

そこで、ホーランド師は、「俺たちのハートの中にこの十字架を誇りとする気持ちがあれば、俺たちは

魅力的な人間になれるんだぜ、というメッセージを伝えよう」と考えた。

教会に十字架が飾ってあるが、その十字架を担いで一日4、50キロで150日かけて日本列島を縦断し

講演活動を併せて行うことを計画し、実行する。

 七人の仲間が集まって来た。一人は、登校拒否の青年。次に神学校に通う学生。牧師のたまご、

韓国からの宣教師、九州大学の博士課程に学ぶ学生、元暴力団で、指がなくて身体に入れ墨が

ある人が来た。

 それから、この伝道活動は、アメリカへ逆輸入され、その後バイクで伝道するクリスチャン

バイカーズクラブへと発展していく。

 まさに、12使徒の伝道や、修道院活動による伝道を想起させる。

既存の権力の象徴としての教会の中にいるのではなく、人々の中へ入っていき、魂を癒していく

活動をホーランド師は実践されている。

その行動は、「不良」どころか、「崇高」に見えてしまう。

素晴らしい人物が日本に存在している。ありがたいことだと思う。

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