読書の小径 その53   2001/11/27(火)23:48  「山なんて嫌いだった」

 家の近くの書店に行った時、妙に気になるタイトルの書き下ろしエッセイがありました。

なんと、そのタイトルは「山なんて嫌いだった」(市毛良枝著 山と渓谷社刊)でした。 私が登山に興味を持ち

だしたのは、大学生の時に読んだ「安曇野」(臼井吉見著)という 大河小説に出てくる「白馬岳」や「常念岳」

の描写の鮮烈さからでした。

 その頃、「いつかきっと白馬岳や常念岳に登ってみたい」と、考えていました。  大学4年生の夏に、上高地で

テントを張り、夏の一夜を過ごそうと思い、雨が降る中を 島々宿から徳本峠を越えて上高地へ出ましたが、途中

からの大雨のため上高地では増水し ていて歩くところも川のようになっていました。  苦労してテントを担いで登

ってきたのにと残念でしたが、あきらめ温泉宿に宿泊し、 衣服を乾かし、疲れいやしたことを思い出します。

その後、松本へ出て信州大学医学部で学ぶ友人の下宿へおじゃまして、これから白馬岳を登り、 不帰キレット

を越えてみようと思っていると言ったら、「不帰キレット」は危ないから止めて 鑓温泉へ下山した方が良いと助言

をもらい、彼の勧めに従い初めての山行を無事終えることが できたことが懐かしくよみがえりました。

 大学を卒業して大阪の会社に就職した時に、独身寮の廊下に「山騒会」を作るから参加したい者は集まれとい

う趣旨の張り紙がしてありました。さっそく、参加して、会合で第1回の 山行をどこへ行くかという話しになったとき、

迷わず「常念岳」へ行きたいと提案したら あっさり、認められ決定しました。  念願の常念岳にその年の5月の

連休に登りました。  市毛良枝さんにとっても、常念岳への山行が初めての山行であったとのことです。

今までの市毛さんは、体も弱かったこともあって、運動と名の付くものはすべて嫌いだった ようです。そんな彼女

が、あれよあれよという間に北八ヶ岳、白馬岳、からキリマンジャロ に登ることに発展していきます。

 それには、彼女が登山家、田部井淳子さんを取り上げた「エベレスト・ママさん」という ドラマの主役に抜擢され

たことが一つのきっかけになっていました。  市毛さんが、田部井さんに、「キリマンジャロに行かないかって話が

あるんだけど、 どんな山?私でも登れるかな?」と、電話で聞いてみたら、「うん、大丈夫、大丈夫。 歩いて登れ

る山だから、ゆっくりゆっくり歩いて、ゆっくりゆっくり息を吸えば登れるよ」と 田部井さんに太鼓判を押してもらえ

たので、その話をOKしたそうです。

高山病に苦しみながらも、頂上の一角である5682メートルのギルマンズ・ポイントに 到着し、スタッフと歓喜の涙

を共にした情景を読むにつけ、ついこちらの目頭も熱くなるの を覚えました。  その後、運動音痴な市毛良枝

さんが、変身して、船舶免許やダイビングライセンスを取っ たり、水泳を始めたり、スキーまでと言った具合に

挑戦していきます。

 「二十数年俳優業をやっていると、駆け出しのころのように仕事に忙殺されることもなく なり、精神的に日々

余裕がもてるようになった。そして、ここ数年、山に登るようになり、 キリマンジャロのような大きな自然と対峙する

機会を得るようになってから、ますます 自分自身をあらためて見つめ直すことが多くなったような気がする。

人間が生きるって なんだろう。自分自身が自分らしくいるってなんだろ。自分らしい自分ってどんな人間 なんだ

ろう。自分はいったい何者かを知りたい。そのためには、やりたくてもできないこと をなんでもやってみようか・・・

なんらかの端緒になるかもしれない・・・」(P114)と。  山は、自分の力で一歩踏み出さなければ、誰も登らせて

くれない。どんな人も対等に、 やったことが、やっただけ自分にかえってくる世界なのだと思います。

 実は、市毛良枝さんは、栗原小巻さんとともに、数少ない私のあこがれの女優の一人なの です。

今後の活躍に期待したいものです。

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