読書の小径 その52 01/08/08(水)22:48「宇宙(そら)からの医者 ドクター・フリッツの奇跡」


 ドクター・フリッツが日本に九月に来る!!牧まさおさんのHPで日本に来ることは知っていましたが、

何時来るのか情報がありませんでした。 ところが、先日、「2001 第8回フナイ・オープンワールド」の

案内が送られて来ました。その案内文章に「いま輝かしい近未来がはっきり見えてきた 〜宇宙・生命・

技術・意識・21世紀をひもとく本当のヒント〜」とありました。どんな内容なのかと興味をそそられて見て

みたら、「ドクター・フリッツ 奇跡の生還」というセミナーが開催されるとありました。とうとう見つけました。

しかし、当日は、用事があって東京へ行くことは出来ません。そこで、パンタ笛吹(牧まさおさんのこと)

さんへ電子メールを送り、当日以外に日本でセミナーとかワークショップは開催されないのか尋ねてみ

ました。牧まさおさんは、「宇宙(そら)からの医者 ドクター・フリッツの奇跡」(株式会社小学館刊行)の

著者で実際にブラジルへ数回ドクター・フリッツに遭いに行っています。

 メールの返事には、ヴォイスに問い合わせてみてください、とありました。

そこで、さっそくヴォイスのHPをInfoseekで検索して、ドクター・フリッツのワーク・ショップ及び個人ヒーリ

ングが開催されることを知りました。もちろん、1日ワークと個人ヒーリングに参加するつもりで、予約しました。

今から愉しみにしています。

 ドクター・フリッツについて牧まさおさんが著書の中で紹介している箇所を長くなりますが引用してみます。

「参考文献を元に、ドクター・フリッツの歴史をさかのぼってみよう。ドクターフリッツは、今までの調査に

よると、ドイツのミュンヘンに生まれ、ポーランドで医学を学び、従軍医師となった。そして第一次世界大戦

の時、1915年にエストニアで手榴弾の破裂により死んだとされている。

 最初にドクター・フリッツのスピリットをチャネルしたのは、ブラジルの農村の若者、アリゴーだった。

アリゴーは、急にドイツ語をしゃべりはじめ、病人を診察しては、効果的な薬の処方箋を書いた。

 そして、1950年に、友人の上院議員の肺ガンの腫瘍を、錆び付いたナイフと切れ味の悪い鋏で摘出

した。手術は成功し、その噂はブラジル中に広まった。アリゴーはそれ以来、数十万人の患者を治したが、

医師会により告発された。そして、6カ月の実刑を言い渡された。しかし、法廷執行官はアリゴーの連行を

拒否し、刑務所では所長が受け入れを拒否した。そこで、アリゴーは自ら進んで入所した。

数日もすると、数百人の患者が外に並び、刑務所内で治療を続けたという。アリゴーは、1971年に交通

事故で即死した。・・・・・(途中略)・・・

アリゴーが死去した後、オスカール・ヴィルドという人間が1975年にドクター・フリッツをチャネルするように

なった。オスカールもアリゴーと同じように麻酔なしで、ナイフを使って手術をした。・・・・

(途中略)・・・そして、1980年、レシフェ市の産婦人科医、エドソン・ケイロスがドクター・フリッツをチャネル

するようになった。ケイロスは、ドクター・フリッツになってから3年間で、1万3848人を無償で手術した。」

(前掲著 P80−82)

 ドクター・フリッツに現在、チャネルしてブラジルで治療行為を行っているのが、ルーベン・ファリアです。

彼は、ブラジルのサンパウロの信心深い家庭に生まれ、州立工業大学の機械科を卒業してエンジニアと

して生活していた。その彼が、1984年から、ドクター・フリッツをチャネルするようになった。

以後数十万人を診察して治療ミスがゼロだという。こんな世界があることが信じられますか?

 私には、信じられます。

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