USHIMOMO 推薦図書の会議室 96/06/11 22:26

00175/00175 読書の小径 その35 「命、響きあうときへ」


 1980年8月、東京の新宿で、バスの放火事件がありました。その時、バスの中にいて災難に遭遇した女性が、全身に80%の火傷を負って生死の境をさまよいました。幸いにも、後遺症はあるものの、翌年の夏には病院を退院できました。年月の経過の中で、身体は日常生活をするのに不自由のない程度まで回復しても、心は依然として、回復しなっかったといいます。ましてや、ケロイドの皮膚は元にはもどりません。「何故、私だけが、こんな目に遭わなきゃいけないのか?」「こんなに、つらいなら・・・」と心のなかで反すうされたのでしょう。
 平成4年3月、「ホスピスの取材」を名目に、静岡県浜松市の聖隷福祉事業団を訪れ、施設の重度障害者の方々の存在に惹かれるものを感じられたといいます。「もっとも弱く、もっとも小さな存在 −。物も言わず、一切を人の手に委ねて生きていく、生涯回復不能な重度障害者が、私の病んだ心を回復させてくれた。3年半かかった。その過程を、私はこの1冊の本に書いた。彼等への感謝をこめて−。」(杉原美津子著「命、響きあうときへ」(文藝春秋)P232
 重度の障害を持つ文俊君との26年間という年月は、家族の一人一人にやさしさを育んだと文俊君のおかあさんは言っています。「次男も娘たちも、自然に弱い子に心が向く人間に育った。困っている人を見ると、力を貸そうとする。フミ君との関わりの中で、身についていったのだと思う。フミ君を持ってから、主人もさらにやさしい人間になった」と。(P44)自分自身の痛みが力となって、他者の痛みに共感できる。共感が深まっていけば、「受容」になると著者は言っています。(P45)そして、「あとがき」で、「ハンディキャップは負わされたものではなく『与えられたもの』であることを、重いハンディキャップを持った彼等が気づかせてくれた。あるがままを見つめること、知ること、受けとめること−。受容までの私の道のりを彼等によって導かれたのだと、私は思う。」と記しています。(P234
 また、「足りない力を貸し合える人間同士でありたいと、私は思う。その希いがあれば、すべての生きている者たちの心は、響き合うことができるのだと思う。」という著者のメッセージに共鳴しました。

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