USHIMOMO 推薦図書の会議室 96/06/09 19:48

00170/00170 KGH10661 読書の小径 その34 「愛に生きる」


 みなさんは、「スズキ・メソッド」ということばを聞いたことがありますか?私は、以前書店で、鈴木鎮一著「愛に生きる」(講談社現代新書)を見かけ、心惹かれる思いがして買い求め、興味深く読み終えたことがあります。その後、新聞の催事案内に、「1000人の子供達のコンサート」(支部設立40周年)というのを見つけました。そこに、鈴木鎮一先生の講演があると書かれていました。そこで、細君と子供2人で観にいきました。19881127日、愛知厚生年金会館ホールのことです。本当に、1000人の子供達が演奏するのだろうか? と、疑心暗鬼でした。しかし、それは数の問題ではありませんでした。
 小さな5歳ぐらいの子供から中学生ぐらいの子供までが、舞台いっぱいにあふれ、「キラキラ星変奏曲」を奏でている姿を観ていて、思わず涙が出てきてしまいました。鈴木先生の嬉しそうな表情が特に印象的でした。先生90歳の時のことです。
 それにいたるまでに、年齢の違う子供達が、いろんな曲をピアノやバイオリンなどで演奏しましたが、びっくりすることばかりでした。たとえば、何人かで同じ曲をリレーで演奏する場合、どこから入っても寸分もずれが生じるわけでもなく、一緒に演奏している他の子供達とも調和しているのです。音楽の苦手の私だから、そういうふうに聞こえるのかと細君に聞いてみると、そうではなく、細君にもそういうふうに聞こえるとのことでした。
 努力の素晴らしさを目の当たりにして、ひたすら感動するばかりでした。そういえば、前著「愛に生きる」のなかで、小児まひにかかった6歳の少女の話がありました。病気が原因で、右半身をやられ、右の目が斜視であったといいます。「タカタカ タッタとヴァイオリンをひくと、終わりのタッタのとき、右手がかってに強く行動して、弓が手から離れて飛んでしまうのです。」そこで、困って担任の先生から鈴木先生に相談があったそうです。「先生と親とが降参するまでやりましょう」と返事されたとのこと。「タカタカ タッタの毎日の訓練で、タッタのたびに飛んでしまう弓を拾うおかあさんもたいへんだったにちがいありません。しかし、ついに先生とおかあさんの大きな愛情と努力が勝つときがきました。その子の右手の動きがだんだん変化してきて、とうとうタカタカ タッタで弓が飛び出さなくなったのです。」(P39)やがて、半年で、「キラキラ星変奏曲」が弾けるようになり、不可能と思われたことが、やり続けているうちに可能になったといいます。「降参していたら不可能のままで終わったはずの能力が生まれた。目に見えないわずかずつの能力が新しい能力を育てて、ついに一つの大きな能力になったのです。
・・・喜びは、一曲ひけるようになっただけにとどまらなかったのです。ありがたいことに、けいこを重ねるにつれて、右の目の斜視がだんだんに正常な位置に移り始め、同時に不自由な右半身のすべてが、しだいに正常に活動するようになってきたのです。・・・・一曲への努力によって少女は救われたのです。」(P40
1961416日東京の文京公会堂で小さなヴァイオリンを手にした5歳から12歳ぐらいまでの子どもたち400人が、或る偉大なチェロリストの到着を待っていたそうです。10時2分前にカザルス先生と夫人の乗る車が公会堂の玄関に到着し、ホールに入られるや、いっせいに「キラキラ星変奏曲」が始まり、ヴィヴァルディやバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏するにおよんで、巨匠の驚きの目とともに、感激の声が漏れ、ついには目に涙を浮かべ、口をへの字に結んで泣いておられたそうです。(P212-212
 そして、感動にふるえる声を張りあげて、「みなさん、わたしはいま、人間が遭遇することのできる、もっとも感動的な場面に列席しています・・・」と話されたといいます。(P214)パブロ・カザルス、75歳のときの話です。
「日本中の子どもが日本語をしゃべっている」ことに驚き、それにヒントを得た「スズキ・メソッド」は今や世界中に知れ渡っています。
 「才能は生まれつきではない。才能は育てるものだ。」という、鈴木先生のお考えに共鳴を感じるものです。

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