USHIMOMO 推薦図書の会議室 96/05/27 22:46

00162/00162 KGH10661 読書の小径 その33 「森と牧場のある学校」


 教育界のなかで、いろんな動きが胎動しているように思えます。最近、参加している半田市の不尽読書会(森信三著「修身教授録」、「一日一語」を輪読後、感想を述べあうもので、現役の小学校の校長先生、短大生、主婦、事業主と幅広い職種、年齢層にわたる方々約10人ぐらいで実施しています)に参加されている校長先生は、生徒と「手紙」のやりとりを実践されているそうです。
 校長室に「今は鳥小屋にいます」「温室にいます」と所在を明らかにしておくと、生徒たちが、遊びに来て、掃除をしていると手伝ってくれるといいます。実践の中ですばらしい教育が行なわれているのですね。小学校が変わりつつあるように思います。少なくとも、私の時代と比較すると格段違いがあるように思えます。中学校、高校あたりに矛盾が屈折し、ねじれ、集積してしまっているようです。
 知多郡東浦町に緒川小学校というオープン・スクールを実践して有名な学校があり、私が以前小学校のPTA会長をしていたとき、「教育研修」ということで、おじゃましたことがありました。試行錯誤の繰り返しのなかで、実践し、今のように発展させてこられた影には、多くの純粋に情熱を注いでみえた、教師の群像があると確信しています。実践録を拝見すると、胸にこみ上げる熱いものを感じます。
それが、小学校で実践できているのに、中学校の段階で試行そのものが頓挫してしまうことが、悲しく思えます。時代が刻々と変化していくなかで、人間教育そのものが追いつけていけてないように感じています。
 多くの小学校でのすばらしい実践のうちの一つに、手塚郁恵著「森と牧場のある学校−山之内義一郎先生の実践」(春秋社)を挙げることができると思います。新潟県小千谷小学校、川崎小学校、虫亀小学校での実践記録です。「学ぶことが喜び」になる学校を創造する実践記録です。学校に森を創ってしまい、たとえば4年生のクラスの理科の研究授業で、グリーンのカーペットを敷いた広い教室で、「さあ、みんなで、あおむしになってみよう」と教師が促すと、子供たちは、あおむしになりきって、腹ばいになってはいまわったりします。
それから、子供たちが作ったという「あおむしの歌」を歌い、どの子も、楽しそうに体を揺すって歌っています。見ていても楽しさが伝わってきます。(P28

この学校の授業は、リラックスから始まるといいます。心も体もリラックスできて、はじめて、学習に集中し、創造的に考えることができるようです。子どもたちは、あおむしを飼育しています。キャベツ畑からとってきました。かわいがって育てているうちに、一日一日、大きくなっていき、驚きと好奇心を持つようになっていきます。幼虫からさなぎ、さなぎから成虫、そしてモンシロチョウへという変化は生命の不思議さを感じさせてくれます。終わりに、子どもたちは、イメージの中で自分があおむしになってみるわけです。そのことによって、あおむしに対する想い表現してみようということのようです。
このように、発見する喜び、わかる喜びは、子どもたちを新たしい探求に導きます。(P31
自分たちの森を観察して、観察日記をつけようということになりました。「森さんへの手紙」も発表されるようになりました。そのうち、子どもたちの中から、「森さんは、何を考えているんだろう。森さんからも手紙もらいたいな」というつぶやきがでてきたそうです。そこで、先生は、「森さんの気持ちになって、自分にお手紙を書こうよ」と提案しました。体格がよく、腕力もありよくけんかをして、相手をたたいて、泣かせることもあり、友だちも寄りつかず、一人ポツンとしていることがあった子が、自分に森さんから次のような手紙を書いたといいいます。
「N夫くんへ ぼくはヤマツツジです。N夫くんは、とてもらんぼうといわれているそうですね。もうちょっとやさしくすれば、らんぼうといわれないんじゃないですか。ぼくは、はやくおとなになりたいです。N夫くんは、はやくおとなになりたいですか。ぼくは、いっぱいなかまがいるからたのしいです。N夫くんは、いっぱいともだちがいますか。・・・」(P150
 すばらしい教師の群像に限りないエールを送りたいと思います。そして、そこから、私は、多くのことを学んでいます。

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