USHIMOMO 推薦図書の会議室 96/04/15 22:55

00129/00129 KGH10661 大橋真人 読書の小径 その28 「安岡正篤にみる指導者の条件」


 最近、(株)ダスキンという会社の存在が妙に気にかかります。
そうです、さだまさしが宣伝している、0120、100番100番のあの会社です。家の中で、小さな子どもと母親がいて、子どもがケーキを落として、絨毯を汚してしまい、「あー!」と母親を嘆かせます。そこへ、救いの手をさしのべる「働きさん」の登場です。観ていて、ほのぼのとしたものを感じます。同社の「シロアリ」退治、予防のCMにも悲哀と共感を感じます。

ダスキンに入社するには、二つの条件があることを知りました。一つは、京都・山科の修養団体「一燈園」での研修に参加するということで、内容は三泊四日で、行願というトイレ掃除の修行(「トイレ掃除をさせていただきたいのですが・・・」とお願いしながら、民家やオフィスを回って歩くこと。)や托鉢といって、一銭も持たず、一人手ぶらで街に出て、人の役に立てることを自分で探すということです。役員も含め、全員がこの研修を経験しているといいますから、そのすごさが分かります。
 もう一つは朝夕、お祈りのひととき、おつとめをするということで、祈りといってっも特定の宗派に属すという意味ではなく、「働きさん」が自分の人生哲学や使命感をきちっと持った人間になってほしいとの思いで実践しているといいます。
 (株)ダスキンの創業者鈴木清一氏は、神渡良平著「安岡正篤にみる指導者の条件」(大和出版)に、「損と得の道があれば、われ損の道を行く」と言い、生涯それを実行した人と紹介されています。(P132)ダスキンの前身は日本一のワックスの製造販売をしていた(株)ケントクで、世界への飛躍を目指して、昭和37年(1962年)、アメリカのS・C・ジョンソン社と資本提携しました。ジョンソン社代表、ケントク副社長のディーン氏は、ケントク独特の「祈りの経営」を無駄の多い非近代的経営であると、ことごとく糾弾しました。
苦渋を味わわされ、掻きむしられるような思いの鈴木社長がそのとき、思い起こしたのは、人生の師と仰ぐ一燈園の創始者西田天香さんの言葉、

「求める心は寂しく、捧げる心は豊かである」 だった、といいます。

そして、ジョンソン社は方針を変え、増資を図り、筆頭株主になり、人事権を手に入れ、ついに吸収合併という形で、日本一のワックッスメーカーを手中にしました。 鈴木氏はケントクと競合しない分野で、新たに事業を興すことにしました。それが、ダストコントロール事業で、後に(株)ダスキンになっていくわけです。

鈴木氏はケントクでの手痛い失敗をくり返すまいと、次のような「経営理念」を発表しました。(前著P135

祈りの経営
ダスキン経営理念
一日一日と今日こそは
あなたの人生が(わたしの人生が)
新しく生まれ変わるチャンスです
自分に対しては
損と得あらば損の道をゆくこと
他人に対しては
喜びのタネまきをすること
我も他も(わたしもあなたも)
物心共に豊かになり(物も心も豊かになり)
生きがいのある世の中にすること
               合掌
      ありがとうございました

 日本家屋用のダストクロスに用いる綿布の開発に頭を悩ましていたとき、ケントクを追い出された鈴木氏に資金があるわけがなく、話を持ち込んだ繊維会社には資金がない、注文の数量が少ない、新規事業でどうなるか分からないと不安がり、どこも色よい返事をしなっかといいます。そんなとき、長谷虎紡績の専務の橋本常一郎氏が鈴木氏の窮状を聞き、長谷虎治社長に相談をし、鈴木氏に会ってもらいたいと要請されたそうです。橋本氏は住友銀行時代、鈴木氏と交流があり、立場を越えて敬服していたとのこと。
 長谷虎治社長は、鈴木氏の話を聞くや、会うなりほれて、「この人を助けてやらなかったら、他に助ける必要のある人はいないくらいだ。いまが一番困っているときだろう。よし、力になろうじゃないか」と言われたそうです。神渡良平氏は著作で、この間の経緯を書かれ、「徳は孤ならず、必ず隣あり」ということばを引用されて、紹介されています。(P132-138)「ミスター・ドーナツ」の成功など、その後のダスキンの成長は目を見張るものがあるといいます。最後に、ダスキンの働きさんが毎朝唱和している言葉を紹介してみたいと思います。 

 ただひたむきに己を捧げて報恩の托鉢をしたい。
 仕事の第一は人間をつくることでありますように。
 働くことが楽しみであり、商いを通じて人と仲良くなり、
 利益は喜びの取り引きから生まれますように。 (同著P138

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