USHIMOMO 推薦図書の会議室 96/01/04 22:21

00080/00080 KGH10661 大橋真人 読書の小径 その20 「修身教授録」



「広辞苑」(第4版)に「真面目」とは、@真剣な態度・本気Aまごころがこもっていること、とあります。分かったようで、分からないようなあいまいな語彙の説明のような気がするのは、私ひとりでしょうか?ところが、森 信三先生の「修身教授録」(致知出版社刊 P472-473)によると、

 真という字の次に「の」の字を一つ加えてみたらどんなものでしょう。・・・「真の面目」と読まねばならぬことになります。・・・・・・・ すなわち、真面目ということの真の意味は、自分の「真の面目」を発揮するということなんです。こうなると、言い古された、最も平凡と思われていたこの言葉がここに一つの新たなる力を持って臨んでくるのです。・・・・そもそもわれわれは、自分の真の面目を発揮しようとしたら、何よりもまず全力的な生活に入らねばなりません。・・・いわゆる、「真面目」という言葉の真意は、普通に「まじめ」という言葉のリズムによって、ともすれば誤り考えるような、単に無力なお目出たさでないことが分かるでしょう。
 真面目において最も本質的なことは、何よりもそれが全力的な生活でなければならぬということです。すなわち、力の全充実でなくてはならぬということです。・・・・・・・・これを実行上の工夫から申せば、八つのことをするにも、常に十の力をもってこれに当たるということです。また、十のことをやらねばならぬ場合には、まさに十二の力をもってこれに当たるということです。
 人間はいつも「マアこれですむ」という程度の生温い生き方をしていていたんでは、その人の真の面目は現れようはないでしょう。

 
ここまで読んで、小学校、中学校の頃よく、「まじめ人間、バカ人間!」と茶化されたことがありましたが、やっと得心しました。また、森信三先生の説明で、広辞苑の意味も敷衍され、よくわかりました。
この「修身教授録」は、大阪天王寺師範学校(現大阪教育大学)での森信三先生の講義をまとめたもの(全5巻)の中から昭和123月から昭和143月までの2年間の講義を改めて編集したものですが、小島直記氏が、「70代のはじめに、この書物で心を洗われた幸せを思う。生きるための原理原則を考え直し、晩年にそなえるために、これ以上の出会いはなかった。奥深い真理が実に平明に、ていねいに語られていて、おのずと心にしみてくる。」と薦められるのがよくわかります。

 人間の偉さは、結局この人生を、どれほど深く生きるかということだと言ってもよいわけです。したがって、また、われわれ人間の根本問題は、いかにしてより深く人生を生きるか、ということの外ないとも言えるわけです。ではわれわれは一体どうしたら、この人生をより深く生きることができるでしょうか。・・・・・すなわち、人生を深く生きるということは、自分の悩みや苦しみの意味を深く噛みしめることによって、かような苦しみは、必ずしも自分一人だけのものではなくて、多くの人々が、ひとしく悩み苦しみつつあるのだ、ということが分かるようになることではないかと思うのです。・・・・・・
 人生を生きることの深さは、実は人生を知ることの深さであり、人生を内面的に洞察することの深さと申しても よいでしょう。そこで、今かような立場から、諸君の現在の生活を深めるというのは、一体いかなることかと申せば、まず相手の気持ちを察することから始めたらと思うのです。(P364

 私の娘は将来、小学校の先生になりたいと言います。大学に入ったら(今中2ですが)是非とも読んで、「教師とは」、「人間とは」、「人生とは」を考えるよすがとして欲しいと思っています。


                 
「戻る」