USIMOMO 推薦図書の会議室 95/11/04 20:26

00056/00056 KGH10661 読書の小径 その11 「ふるさと教育 第四の教育」



  「知多市の市民会議『210円ゆめの会』について、名古屋大学教育学部の学生(大学院生を含む)約10人ぐらいのグループに、10月3日の夜、話してくれないか。」と、東海市の友人から一週間ぐらい前に依頼の電話がありました。彼には7年前に、私が知多5JC連絡協議会の知多半島委員会の委員長をつとめさせていただいたとき、副委員長をしていただき大変お世話になったこともあり、かつこれも何かの「縁」と思い、快く応じることにしました。
  日中に東海市役所や、生涯教育のことについて視察しているということでした。たぶん、彼等も疲れているだろうから、ちょっと面白おかしく話した方が良いかもしれないと、思っていました。そこで、「まず最初にこういう機会を作ってくれた東海市の久野晃靖君に感謝いたします。そして、みなさんとのご縁をこれからも大事にしていきたいと思っています。」とお話して、勉強に入る前の若干のチェックをしてみましょうということで、20問設問しました。

 この中には、@船井幸雄の「未来への分水嶺」を読んだことがある?
         D人は何故生まれ、何故働き、死んでいくのか考えたことがある?
         E阪神大震災で自分の考え方が変わった?
         F萩原茂裕を知っている?
         H鍵山秀三郎を知っている?
         J政木和三を知っている?       
         K高橋信次・高橋佳子を知っている?
         L足立幸子・足立育朗を知っている?
         N中村天風を知っている?
         Q松藤民輔・藤原直哉を知っている?
         SNIFTY-Serveで遊んでいる?   等が含まれていました。
  回答数では、3つが最高で、1つが最低でした。「私も2年前でしたら、みなさんと同じでした」と、お伝えしました。

 知多青年会議所のここ7年ぐらいの社会開発運動のルーツはまちづくりの「種蒔き人」萩原茂裕先生にあります。(先生の著作には「ふるさと教育 第四の教育」上下 発行所 日本ふるさと塾 〒336 埼玉県浦和市三室2140-1 TEL 048-874-1186 があります。味わい深い本です。)「LOVEはちのへ運動」を学ぶ中で我々は、「我がまち発掘運動」「いいひとみーつけた」運動を展開しました。「我がまち発掘運動」では、吉本興業に代表される上方漫才のルーツが実は、知多市の寺本の尾張知多万歳にあることを知り、一方でその歴史や変遷を「漫才西遊記」というスライドにまとめ、他方で「競演」というかたちで、市民のみなさんとともに観賞し、確認する運動をしました。「いいひとみーた」運動では、メジャーではないが、光輝く個性(たとえば、重度の障害を持ち、口にタイプライターを打つハンドの端をくわえ、和歌を詠う少年等)、技能を持つ人達、特産物を最初に手がけた人々を、スライドと音を使い市民の前で紹介し、「いいひとの夕べ」を企画したりしました。
 萩原先生には3回知多の地にお越しいただき、助言をいただきました。先生のお話が終わった後で、「せっかく自分のまちを良くしたいということで、この場にこうして集まったわけだから、まず、1カ月に1回でいいから集まり、話し合う機会を作ってみては」と、市民の方から提言がありました。そんなことがきっかけで、平成3年11月、市民会議が起ち上がりました。この会議での約束ごとは、あくまでも、市民一人一人の立場で参加して欲しいこと、代表は置かず、青年会議所は裏方の事務連絡・会場手配に徹すること、毎回210円を払い、これは発言料及び資料・お茶代に充てるということでした。何故210円にこだわったかと言いますと、市制21年目に産声をあげたこと、21世紀の知多市の夢を語り合う場が欲しいということにちなんだわけです。その後、自然と名称も市民会議「210円ゆめの会」と決まっていきました。
 しかし、最初の頃は、「こうしたことがして欲しい。」「市に要求しよう。」という発言が多く、とかく、受け身的な発想しか出てきませんでした。 そこで、「これから、この場では、私は何々したいから、みんなでどうしたらできるようになるか考えましょう。」とか、「こうしたら面白いんじゃない。」という発想をしていただくようにお願いしました。そうしたら、いろいろ面白いアイディアがたくさん出てきました。
 たとえば、名古屋港南5区の埋立地に巨大な「たこ」を造り(昔、コンクリート製の「たこ」が名鉄沿線の長浦という駅の近くの砂浜にあった)、「知多」国際空港へ飛行機が離発着するときに、潮を吹き上げ虹を作るようにするとか、シェア日本一のペコロス(ミニたまねぎ 全国シェア80%)の畑で一流の演奏家のコンサートを開き、一流のシェフによる料理を食べながら観賞する等々。 
 市制20周年の折に、「21世紀の知多市の提言大賞」の最優秀賞を受賞した方が会員だったことから、その作品の中で取り上げた「佐布里パークロード」について語っていただき、その後、実際その地をゴミ袋持参で歩いてみることにしました。案内看板もなく単調で、トイレもなく、無味乾燥であると、意見がでてきました。それなら、「どうしましょうか?」ということになりました。まず、我々で案内看板を作ろうということになりました。それには、「佐布里」の歴史を学ぼうということで、地元の歴史に詳しい人に来ていただき、勉強しました。看板にもいろいろあるから、いろんなところを各自見て来ようと、いうことになりました。私は、京都に行く機会がありましたので、「哲学の径」で写真を撮ってきたことがありました。そうこうしていると、知多市の方でも愛知県がすすめている「ふるさとづくり事業」に「佐布里パークロード」の整備を事業として計画しようということになってきました。
 豊かな田園風景、梅林、木立に囲まれた神社仏閣、せせらぎなどを活かして、楽しみながら歩ける散歩道にして、市民の憩いの場にしようとみんなの知恵や夢を出し合い描いた手書きのイラストはなかなかのものでした。平成4年度の審査会の会場でも審査委員の方々から好評を得たそうです。結果、事業計画が採択され、平成5・6年度に工事がなされ、今では完成しています。
 それ以来、春には「梅まつり」の折には、「佐布里の梅林」を日本一にしようと、「梅ふやし、もやいこフリーマーケット」を企画し、市民からバザーの品物の寄付をいただき、市民に買っていただき、収益金で梅の苗木を買い、「佐布里」の調整池の敷地内に植林を続けています。何百年かかるかわからないけど、この夢が現実になることを確信しています。

去年から始まった市民まつり「おいじゃー知多フェスタ」では「210円ゆめの会」のメンバーもいろんな国に分かれて参画しています。「自由の国」では、「梅ジュース」の無料試飲、「梅クッキングコンテスト こりゃとってもうめー」を企画したりしました。また、昨年は岡田という地区(知多木綿のふるさと)に着目して、「ふるさと岡田お散歩マップ」を岡田町並保存会のみなさんと共同で編集・発行することができました。いろんな形で、萩原先生の蒔かれた「まちづくりの種」が確実に芽をふき出してきました。今後が愉しみです。

 眠るだけのまちでは味気ないと思います。自分たちのまちは、自分たちでよりよく変えて行きたいものです。こんな話を、その晩させてさせていただきました。

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