インターネットについての私の考え方 97/06/09 12:30

最近、「つながった」ということばが各方面で使われるようになり、さながら時代を象徴する「キーワード」の一つのような感じがしています。
 たとえば、去年ベストセラーになった福島大学助教授 飯田史彦著「生きがいの創造」(PHP研究所)の中で飯田助教授が提唱してみえるのは、「生きがいのネットワーク」につながってみませんか? ということでした。
 また、国際基督教大学理学科 石川光男教授は「自然に学ぶ共創思考」(日本教文社)や「『いのち』を活かす生き方」という講演録(於 岐阜県恵那市 21世紀クラブ・公開講演会)で、「いのち」というのは「つながり」なんです、と言われてます。たとえば、心と体がつながっている、けっして切っても切っても切れない縁でつながっている。これが、「いのち」だということを知って欲しいと言ってみえます。
 私は、愛知県土地家屋調査士会 会報紙「地図読み人」(1996秋季号 No.176)で、「インターネット」を特集するにあたって読んだ、「インターネットが変える世界」(古瀬幸広・廣瀬克哉著 岩波新書)の第1章のタイトルに、「つなぐこと」に魅せられた世代、とあるのを見たとき「やっぱり」と思ってしまいました。
 インターネットの発端は、国家的で、軍事的色彩を帯びたプロジェクトで、1969年の米国防総省の高等研究企画庁(ARPA)からのプロジェクト募集(RFP)にありました。プロジェクトは「パケット交換」というコンピュータの通信技術に関するものでした。ARPAはこのパケット交換を用いたネットワークである、ARPAネットの構築を目標にしていたわけです。つまり、米ソ冷戦下にあった当時、アメリカはソ連のミサイル攻撃でテレビ網や通信網が打撃を受けた場合でもコミュニケーションがとれるようにしたかったわけです。
 このプロジェクトに対して「ARPAネットプロジェクト向けのネットワーク運用センターを作る」という回答をしたのがULCA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)でした。これが、後にインターネットとして知られる大規模ネットワークの歴史のスタートでした。この開発の中心になったのが、当時大学院生だったヴィントン・サーフでした。彼はその後も一貫してインターネットにかかわり、インターネット協会(ISOC)が設立された1992年には、初代会長に選ばれています。
 世界最初のパーソナルコンピュータともいわれるSOLやポータブルコンピュータのオズボーン1を開発したことで知られるリー・フェルゼンシュタインら初期のハッカーの多くは、サンフランシスコの湾岸地区を中心に活動していていました。ここで、断っておきますが、ハッカーの本来的な意味は、自動車にたとえるなら、いざとなったらエンジンを分解して調整する実力を持つ人のことをいい(原義は「切り刻む人」)、マスコミによって違う使われ方をされてしまったたため、犯罪者としてのクラッカー(cracker)とか、パイレーツ(pirates)と区別がつかないようになってしまっているとのことを認識しておいていただきたいと思います。
マイクロプロセッサが誕生する以前から、この地では後のパーソナルコンピュータ革命につながる活動が行なわれていたわけです。ここには、1960年代末にアメリカの大学を吹き荒れた反体制運動や反戦運動が色濃く残り、東洋思想が流行したりしていました。
 この地には、もともとフェルゼンシュタインが影響を受けたイワン・イリイチの思想を受け入れる素地が整っていたようです。1970年代前半には、UCLAなどに、ハッカーたちが集まり、コンピュータの能力を一般大衆に解放することを目的としたさまざまな非営利プロジェクトが組織されていたといいます。
 イリイチは、産業文明が生み出したさまざまな「道具」が、その用いられ方によって二つの相反する結果を人々に与えると言っていて、フェルゼンシュタインはその著作を読み感銘し、「コンヴィヴィアリティのための道具」(みんなで一緒にいきいき楽しい道具)を作ろうと思ったといいます。つまり、大学や会社の計算機室に鎮座する大型コンピュータこそ、非常に高価な道具だから、所有し利用できるのは政府や大企業などの一部の者だけであり、その結果、それらの者に情報が集中し、情報の集中が権力の集中を加速すると考え、1971年に登場したマイクロプロセッサに興奮し、個人の能力と管理と自発性の範囲を拡大するための新しい道具、すなわちコンヴィヴィアルな道具として、パーソナルコンピュータをつくりあげていったのでした。
 こうした「パーソナルコンピュータ革命」に参加したハッカーたちの目標は、コンピュータの能力を大衆に解放し、それを使って知識と情報を共有することでした。彼等の多くは大学でコンピュータとネットワークに触れ、その可能性を肌で感じていました。そこでは、誰もが発言の機会を持ち、新しいコミュニティが形づくられる可能性があると、考えていたようです。ちょうどそのとき、ミニコンピュータに飛びつき、隅から隅まで探検して、それを使いこなすことを覚え、市民へ解放しようとしました。
 大学生という多感な時期をベトナム戦争を背景に過ごしたハッカーたちの中には、大学を中退し、この新しい技術を自分達の理想とする形で、市民に提供しようと活動を行う者もいました。その代表的な人物が先の、フェルゼンシュタインでした。その後、彼は仲間のハッカーたちとコンピュータシステムを作り上げ、市民が情報を共有できる「電子掲示板(BBS)」をつくりあげました。1973年8月のことです。そして、一方で、ほぼ同じ時期に同じ地域で開発が進められたのが、ARPネットでした。反体制運動、産業文明批判という思想的な背景の中で、コンピュータに詳しく、その実力を知る人たちが、情報は公開されるべきであり、共有されるべきであるという行動をしました。こうしたハッカーの思想と行動が、エリート科学者たちの手によって開発されたARPAネットという基盤にのった結果が、現在のインターネットにつながっているわけです。
 こうしたことから、だいじなことが見えてきます。つまり、コンピュータネットワークは、コンピュータをつなぐものだけではなく、人間と人間をつなぐものだということです。
1990年代に入って、インターネットの商用化が始まり、今やインターネット全盛時代へと突き進んでいる感がありますが、他方で「インターネットバブルの崩壊」というテーマを掲げて特集を組んでいる雑誌があります。(「日経ゼロワン」1996.September創刊3号) 

「日本のインターネット利用者が毎日体験しているのは、ひどくなる回線の混雑、米国と比べて高い接続・電話料金、内容の無いホームページの氾濫・・・。その中で、インターネットがホワイトカラーの生産性向上から英語の向上まで、あらゆる問題の万能薬であるような礼賛論は、次第に説得力を失ってきた。」(同上 P12

 以上述べてきたインターネットの成立の経緯の意義を深く感じながら、今後インターネットの世界がどのように展開していくのか、興味深く経過を見守っていきたいと思います。

         参考図書 古瀬幸広・廣瀬克哉著「インターネットが変える世界」(岩波新書)
                 「日経ゼロワン」1996.September 創刊3号(日本経済新聞社) 

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